日本刀の世界 ~日本の様式美~

日本の伝統文化である日本刀の刀工・刀鍛冶、名刀、刀剣書籍など

【刀剣紹介】大国綱

日本の美、日本刀

まだ腰に刀を差していた時代、日本刀は自分の身を守るためだけではなく拵えの装いや粋な刀装具を周囲に見せ、その刀を差す武士の品格を表していました。また、現代のように自身を彩るものは多くなく、腰に差す刀剣でその人のお洒落さをも表していたといいます。そんな千差万別ある日本刀を紹介していきます。

大国綱

『享保名物帳』焼失之部に所載されています。初め播磨の守護・赤松満祐の所持でしたが嘉吉元年(一四四一)六月に将軍義教を殺した事件で、一族が自尽して果てたので将軍家の有に帰しました。その後の消息は不明ですが、おそらくは足利将軍家の倒壊により誰か武将の手に渡っていたのでしょう。それが元和元年(一六一五)夏の陣のさい、出てきたため、その武将は大阪方だったということになります。戦利品として将軍秀忠が召し上げました。『埋忠銘鑑』に押形が出ているのは金具の新調を命じられ、拝見する機会を得たからでしょう。『光山押形』に載っているのは金百枚の折紙がついているので、そのとき押形を採ったのでしょう。
明暦三年(一六五七)の大火に焼けたため『享保名物帳』では焼失之部に入れてあります。しかし、明治二年調べの『御腰物台帳』には見当たりません。それ以前に同家を出たまま、現在も所在不明です。
刃長は二尺七寸七分(約八四・一センチ)もあるため「大国綱」と命名された。表裏の棒樋は、はばきのうえで丸留めとなる。これには、国綱の特徴である腰刃がなかった。『光山押形』には区より一寸(約三・〇センチ)ほど上から腰刃がある、とあるが『埋忠銘鑑』の図を見ると、そこに腰刃というほどのものはない。中心はうぶ、目釘孔二個。「国綱」と二字銘がある。

参考文献:日本刀大百科事典
写真:刀剣名物帳「大国綱」

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