日本刀の世界 ~日本の様式美~

日本の伝統文化である日本刀の刀工・刀鍛冶、名刀、刀剣書籍など

【刀剣紹介】大阪親身藤四郎

日本の美、日本刀

まだ腰に刀を差していた時代、日本刀は自分の身を守るためだけではなく拵えの装いや粋な刀装具を周囲に見せ、その刀を差す武士の品格を表していました。また、現代のように自身を彩るものは多くなく、腰に差す刀剣でその人のお洒落さをも表していたといいます。そんな千差万別ある日本刀を紹介していきます。

大阪親身藤四郎

『享保名物帳』焼失之部所載の短刀です。これはもと越前守護・朝倉義景の所蔵でしたが、織田信長に贈ったもの、といわれています。それはおそらく元亀元年(一五七〇)十二月に、将軍義昭の斡旋により、信長が朝倉・浅井の両軍と和睦したときのことでしょう。それを朝倉家滅亡のとき信長が入手した、と推論がありますが、それは『享保名物帳』の記述にもあります。天正八年(一五八〇)二月十二日に信長は中国戦線から軍状報告に上洛した羽柴秀吉を慰労するため、茶会を催しました。その席によばれた堺の豪商・津田宗及の日記によれば、そのとき拝観した脇差十四振り、刀八振りのなかに「アラミ藤四郎」もまじっていたようです。その後、秀吉の所有に帰しましたが、秀吉も珍重したとみえ、大阪城では「一之箱」に入れてありました。しかし、元和元年(一六一五)五月七日に大阪落城のさい兵火に焼かれました。しかし、その焼け身は徳川家に納められました。その押形は『本阿弥光徳刀絵図』や『本阿弥光柴押形』に載っています。前者には「ヤ」つまり焼け身と注記があり、後者では中程まで丸い五の目乱れ、それより先は直刃となっています。おそらく後者がもとの刃文で前者は再淬の焼き刃でしょう。

参考文献:日本刀大百科事典
写真:刀剣名物帳「大阪親身藤四郎」

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