日本刀の世界 ~日本の様式美~

日本の伝統文化である日本刀の刀工・刀鍛冶、名刀、刀剣書籍など

【刀剣紹介】氏家貞宗

日本の美、日本刀

まだ腰に刀を差していた時代、日本刀は自分の身を守るためだけではなく拵えの装いや粋な刀装具を周囲に見せ、その刀を差す武士の品格を表していました。また、現代のように自身を彩るものは多くなく、腰に差す刀剣でその人のお洒落さをも表していたといいます。そんな千差万別ある日本刀を紹介していきます。

氏家貞宗

『享保名物帳』所載の脇差です。もと「美濃三人衆」といわれた大垣城主・氏家常陸介直元(友国)入道卜全の所蔵です。卜全は元亀二年(一五七一)五月、長島一揆討伐のさい、殿軍となって戦死しました。その跡は次男・内膳正行広(直通)が継いで大垣城主となりました。関ヶ原合戦に西軍について没落しました。のち荻野道喜と改名し大阪城に入っていましたが元和元年(一六一五)五月八日の落城のとき秀頼と運命をともにしました。本刀は行広が没落、浪々のみぎり売却したものが井伊掃部頭直孝が入手し、徳川家康に献上しました。家康から越前宰相秀康に与えられました。
秀康が慶長十二年(一六〇七)に没したときは直孝はまだ十八歳の少年でしかも無禄でした。もちろん本刀を買えるはずがなく、氏家家から贈られる資格も、家康に献上する身分でもなかったため、本刀を入手したのは父の兵部少輔直政と見るべきです。秀康のあとは津山の松平家に伝来しましたが、いつのころか五百枚の折紙がついています。戦後、同家を出ました。
刃長は一尺五分(約三一・八センチ)というが、現在は一尺四分三厘(約三一・六センチ)しかない。平造り、差し表に爪と素剣、裏に爪と護摩箸を彫る。地鉄は大板目肌立つ。刃文は直刃調に浅い五の目まじる。中心は生ぶ。無銘。

参考文献:日本刀大百科事典
写真:刀剣名物帳「氏家貞宗」

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