日本刀の世界 ~日本の様式美~

日本の伝統文化である日本刀の刀工・刀鍛冶、名刀、刀剣書籍など

【刀剣紹介】浅井一文字

日本の美、日本刀

まだ腰に刀を差していた時代、日本刀は自分の身を守るためだけではなく拵えの装いや粋な刀装具を周囲に見せ、その刀を差す武士の品格を表していました。また、現代のように自身を彩るものは多くなく、腰に差す刀剣でその人のお洒落さをも表していたといいます。そんな千差万別ある日本刀を紹介していきます。

浅井一文字

「享保名物」の太刀です。もと江州小谷城主・浅井長政が所持していました。その娘、淀君に伝来しますが、その後の消息は不明です。『享保名物帳』には元和三年(一六一七)四月四日、前田筑前守利常が「拝領か」とありますが、それは誤りで『名物控』によれば、尾張宰相義直が将軍に拝謁しているため、そのとき義直が将軍秀忠に献上したのではと推察されます。その翌月十三日、将軍が前田邸に赴くと貰ったばかりの浅井一文字のほか、守家の太刀や平野藤四郎を前田利常に与えました。前田家では寛文八年(一六六八)、本阿弥家にやって千貫の折紙をつけました。しかし、前田家の記録では「五拾枚折紙」となっています。前田家では、宝永五年(一七〇八)以後のことでありますが、これを千貫で柳沢吉保に譲りました。以後、同家に伝来し、折紙も千五百貫にのぼりました。
明治四年七月廃藩になると、柳沢家では十月には早くも処分を始めました。浅井一文字の価格を決めるのに、まず当時普通の一文字が百五十円ぐらいでした。浅井家滅亡より三百年たっているため、一年間の保管料を一円とすればそれが三百円になります。さらに著名な武将たちの遺物のため、五十円増しにすれば合計五百円になります。これを売値にした、という話がありますが誤伝です。
柳沢家の記録によれば、明治五年十月、赤井梶蔵が拝領しています。その後、旧臣の土倉某が三百円で入手していたものを、日清戦争の戦勝記念として、本阿弥光甫筆の巻物をそえて、第一軍司令官・山県有朋大将に贈りました。同家において大正十二年、関東大震災で焼失しました。
刃長二尺一寸六分(約六五・四センチ)で板目肌に大丁子乱れを焼く。鋩子乱れ込んで、わずかに返る。中心はうぶ「一」と在銘。

参考文献:日本刀大百科事典
写真:刀剣名物帳「浅井一文字」

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