日本刀の世界 ~日本の様式美~

日本の伝統文化である日本刀の刀工・刀鍛冶、名刀、刀剣書籍など

短刀

【偉人の刀剣】吉田松陰の刀

吉田松陰の刀 幕末の志士、教育家として有名な松陰の刀です。長州藩では五十七石余の微禄ではあったが、山鹿流兵学師範という家柄だったので、刀剣類もかなりあったはずです。松陰の肖像に描かれている脇差は、鍔がなく、柄糸を巻かない腰刀の形式になってい…

【偉人の刀剣】淀君の刀

淀君の刀 豊臣秀吉の愛妾・淀君所蔵の刀剣です。昭和十三年十一月、某家の売立に出たものです。 刃長八寸五分(約二五・八センチ)、表裏に刀樋と添え樋をかく。地鉄は板目肌に地沸えつく。刃文は直刃、鋩子小丸。中心はうぶ、「来国次」と三字銘。 宝永五年(…

【偉人の刀剣】本多平八郎の刀

本多平八郎の刀 徳川家康の四天王のひとり、本多忠勝の刀です。天正十二年(一五八四)四月、長久手の戦のさい、織田信雄は忠勝の勇戦ぶりに感じ、法城寺の刀を与えました。同十四年(一五八六)四月、豊臣秀吉の妹・朝日姫と結婚した徳川家康が、祝儀の使者とし…

【刀剣紹介】盲腸来国次

盲腸来国次 「来国次」と在銘の短刀です。もと一尺(約三〇・三センチ)以上ありました。それでは脇差の部に入り値段が安いです。一尺以下ならば短刀の部に入り値段も高くなるので、東京在住の故M刀匠に依頼、中心の靴の下を二寸(約六・〇六センチ)ほど切除し…

【刀剣紹介】延慶光包

延慶光包 表「光包」、裏「延慶二年二月日」と在銘、刃長九寸七分四厘(約二九・五センチ)、旧国宝、現重文です。天明六年(一七八六)拓の押形、『首斬り浅右衛門刀剣押形』『新刀古刀大鑑』などに所載されてます。ただし、『角野押形』所載の同年作の銘と相違…

【刀剣紹介】鷲の巣

鷲の巣 相州行光作の短刀の異名です。文禄元年(一五九二)四月十一日、肥前名護屋(佐賀県東松浦郡鎮西町)へ下向の途中、芸州広島(広島県広島市)へ立ちよった豊臣秀吉は、これと備前光忠の刀を、毛利秀元に与えました。 参考文献:日本刀大百科事典

【刀剣紹介】若江十河正宗

若江十河正宗 『享保名物帳』焼失之部所載、相州正宗極めの短刀です。河内国若江(大阪府東大阪市)から出たから、あるいは織田信長のとき、若江三人衆とよばれた、池田丹波守・多羅尾常陸介・野間左膳ら三人のうちの誰かの所持だったので、若江正宗とよびます…

【刀剣紹介】露弾丸

露弾丸 堀井胤明作の両刀の短刀の異名です。明治三十八年五月、日本海海戦のさい、軍艦日進の主砲塔に命中した敵弾の破片をもって、同艦に乗っていた麓々園氏が、同四十五年五月、胤明に打たせたものです。差し表に「揚武」の二字を彫ります。 参考文献:日…

【刀剣紹介】竜谷剣

竜谷剣 親鸞所持と伝承の短刀です。 刃長四寸九分(約一四・八センチ)、無銘。武州豊島郡下駒込(東京都豊島区駒込)の官七家に伝来。そのほか京都の大本山・仏光寺に親鸞の太刀と称するものが伝来。享保十一年(一七二六)、展示したことがある。 参考文献:日本…

【刀剣紹介】流星刀

流星刀 榎本武揚が明治三十一年、富山県中新川郡上市町に落ちた鉄隕石をもって、江戸の刀エ・国吉に命じて造らせた短刀です。板目肌がきれいに出ているが、玉鋼を三割ほど混ぜたものです。 参考文献:日本刀大百科事典

【刀剣紹介】流水剣

流水剣 沢村大学の鎧通しです。大学は熊本藩主・細川家で一万一千石をはんだ家老です。小男だったので、敵との組み討ちになると、組み敷かれることが多かったです。組み敷かれながら、下から腰の鎧通しを抜いて、敵を突き殺すのが得意でした。そのとき使った…

【刀剣紹介】米沢藤四郎

米沢藤四郎 『享保名物帳』焼失之部所載、粟田口吉光の短刀です。初め豊臣秀吉所蔵でした。おそらく秀吉の遺物として、羽州米沢城主・上杉景勝へ贈られたのでしょう。景勝はこれを二代将軍秀忠に献上しました。秀忠は寛永二年(一六二五)二月五日、三男の駿河…

【刀剣紹介】横雲正宗

横雲正宗 1.『享保名物帳』焼失之部所載、相州正宗極め朱銘入りの短刀です。 刃長八寸七分(約二六・四センチ)、平造りで彫物はない。差し表は五の目乱れで、切先は二重刃になり、鋩子は乱れ込んで、ほとんど焼き詰め。裏も五の目乱れで、地のほうに二重刃や…

【刀剣紹介】八樋正宗

八樋正宗 織田信長が天正三年(一五七五)二月三日、甥の津田七兵衛信澄を、江州大満(高島郡高島町)の城主に封じたさい、織田家伝来の刀とともに与えた相州正宗の短刀です。妻が明智光秀の娘だったため、光秀謀叛のとき、光秀と同心と誤解され、大坂城において…

【刀剣紹介】矢目国俊

矢目国俊 中心の差し表、目釘孔のうえに、矢目状の孔のある来国俊です。ただし、その孔は裏に通っていません。それは平造りの短刀で、差し表に「来源国俊 主(生)年七十八」、裏に「文保元年丁丑七月日」、と銘があります。その押形をみると、銘振りが正真の…

【刀剣紹介】最上正宗

最上正宗 出羽国山形城主・最上義光が、関ヶ原合戦の初め、上杉景勝の軍を防いだ功を賞し、徳川家康が与えた相州正宗の脇差です。 最上家は、義光の孫・義俊の非行により、元和八年(一六一二)、二十四万石からわずか一万石に減封となりました。そのため正宗…

【刀剣紹介】名家桜

名家桜 大和守元平作の短刀の号です。 差し表に「奥大和守平朝臣元平 文政辛巳春 行年七十八歳」、 裏に「文化因子夏 公女郁君入典子近衛忠熙卿時 盛美從左府基前公 祝賜方金因以造之」、棟に「名家桜 従二位光実」と切る。 郁君とは薩摩藩主・島津斉興の養…

【刀剣紹介】陸奥新藤五

陸奥新藤五 『享保名物帳』所載、相州の新藤五国光作の短刀です。もと会津城主・蒲生氏郷所持でした。それから子の秀行、孫の忠郷に伝わりました。忠郷はわずか十歳で藩主となり、老臣・森川半弥の輔導をうけていたので、これを半弥に与えました。忠郷が寛永…

【刀剣紹介】むき物安吉

むき物安吉 薩州島津家伝来です。 刃長九寸三分(約二八・二センチ)、「安吉」と在銘。もと藩主のお側に置いてあったもの。異名の意味は不詳。 参考文献:日本刀大百科事典

【刀剣紹介】三好正宗

三好正宗 『享保名物帳』焼失之部所載、相州正宗在銘の短刀です。越後国刈羽郡三島郷(新潟県柏崎市)の郷士・三島典膳が、わざわざ相州鎌倉に行って造らせたもの、という話があるが、これは後世の創作です。三好長慶が本阿弥光利の取り次ぎで、金十六枚で入手…

【刀剣紹介】三好江

三好江 1.『享保名物帳』焼失之部所載、越中の郷義弘極めの太刀です。三好長慶旧蔵といいます。三好重代の郷義弘の太刀は、刃長二尺六寸五分(約八〇・三センチ)ありました。三好郷はこれを磨り上げたものでしょう。 豊臣秀吉が天正十三年(一五八五)、紀州名…

【刀剣紹介】末期行光

末期行光 織田信忠が天正十年(一五八二)六月二日、二条城で討死する前、わずか三歳の長子・三法師丸(秀勝)を、前田玄以に託して、岐阜へのがす時、信忠が三法師丸へ与えた、という短刀です。無銘の加州行光の作です。 平造りで、差し表に櫃内の剣巻き竜、裏…

【刀剣紹介】増田来国次

増田来国次 『享保名物帳』焼失之部所載、来国次作の短刀です。もと豊臣秀次所持でした。秀次の 生存中か、自害後か、不明であるが、文禄(一五九二)年中、研師の木屋が入手して、豊臣秀吉へ金八枚で売りました。 秀吉が逝去後、遺物として、大和郡山城主・増…

【刀剣紹介】細川正宗

細川正宗 肥後熊本城主・細川家から、正徳二年(一七一二)六月、この正宗と粟田口国安の刀、左の安吉の短刀および伽羅などを、千四百七十両で、水戸の分家である奥州守山藩主・松平頼貞が購入、以後同家に伝来しました。 刃長八寸一分(約二四・五センチ)、反…

【刀剣紹介】豊後藤四郎

豊後藤四郎 『享保名物帳』焼失之部所載、粟田口吉光作の短刀です。もと京都の醍醐寺門跡所蔵でした。同寺が庭園造築のさい、備前児島産の藤戸石が巨大すぎて、動かせなかった時、寛正三年(一四六二)十月以来、侍所所司代だった多賀豊後守高忠が、この脇差を…

【刀剣紹介】藤丸

藤丸 1.名刀の名です。奥州の文寿の作です。ただし、膝丸の誤写の疑いもあります。 2.足利将軍義昭の差料です。 中身は、刃長九寸三分五厘(約二八・三センチ)、「備州長船兼光 延文二年七月日」と在銘。合口拵えの刻み鞘が金時絵となり、それに藤の花が銀の…

【刀剣紹介】二筋樋正宗

二筋樋正宗 『享保名物帳』焼失之部所載、相州正宗極めの短刀です。もと山名弾正所持といいます。山名家は山陰の豪族で、五代宗全のごときは、かの有名な応仁の乱の総大将でさえありました。山名家は初代・時氏を始め、弾正少弼を名乗った人が多いから、「山…

【刀剣紹介】豊後来国次

豊後来国次 『享保名物帳』追記之部所載、来国次作の短刀です。豊臣秀吉から豊後の大友に下さる、というから、大友宗麟が天正十四年(一五八六)四月、大坂にのぼり秀吉に援助を乞うた時、秀吉は脇差を与えています。それがこの来国次のはずです。徳川家康が文…

【刀剣紹介】樋口藤四郎

樋口藤四郎 『享保名物帳』焼失之部所載、粟田口吉光作の短刀です。樋口はヒノクチとよむのが正しいです。泉州堺の樋口屋という商人です。もとは肥前長崎の商人といいます。樋口屋所持の本刀を、石田三成が金十三枚で買い取り、天正(一五七三)ごろ豊臣秀次へ…

【刀剣紹介】樋口正宗

樋口正宗 豊臣秀吉の遺物として慶長三年(一五九八)八月、京極高次に贈られた相州正宗の短刀です。京極正宗と同一物でしょう。樋口はヒノクチとよむのが正しいです。泉州堺の樋口屋という商人です。もとは肥前長崎の商人といいます。 参考文献:日本刀大百科…