日本刀の世界 ~日本の様式美~

日本の伝統文化である日本刀の刀工・刀鍛冶、名刀、刀剣書籍など

正宗

【刀剣紹介】沢井正宗

沢井正宗 伊賀越の仇討ちで、沢井家伝来とされている相州正宗の刀です。この仇討ちの真相は、備前岡山藩士の河合又五郎がささいな遺恨から、寛永七年(一六三〇)七月、江戸において、同藩の渡辺数馬の弟・源太夫(小才治)を殺して出奔、旗本の阿部四郎五郎らの…

【刀剣紹介】猿正宗

猿正宗 猿から贈られた相州正宗の刀です。肥後熊本の飛脚が駿河の薩陀山の麓にさしかかった時、猿を海に引きずり込もうとしている大章魚を切って、猿を助けてやったところ、猿は飛脚の文箱を奪って、山中に逃げました。飛脚が猿を追って行くと、遥か彼方に猿…

【刀剣紹介】篠造り

篠造り 1.足利家重代、備前一文字則宗の太刀の異名です。小竹造り、小竹切り、篠丸ともいいます。ほかに二つ銘という別称のあるのは、「備前国則宗」という銘の「備前」が朽ち、「則」のように見えるので、「則国則宗」つまり則国と則宗の合作と誤読したため…

【刀剣紹介】江雪正宗

江雪正宗 『享保名物帳』焼失之部所載、相州正宗の刀です。「江雪左文字」と同じく、岡野江雪斎の旧蔵です。江雪斎が直接、徳川家康に献上したものでしょう。家康はこれを帯びて、関ヶ原・大坂の両役に出陣しました。寛永九年(一六三二)正月二十三日、二代将…

【刀剣紹介】黒田正宗

黒田正宗 『享保名物帳』焼失之部所載の短刀です。初め筑前福岡城主・黒田忠之入道宗英所持でした。ただし黒田家の家老所持という異説もあります。忠之がこれを駿河大納言忠長へ贈ると、忠長はさらに将軍家光に献上しました。家康へ献上という説は誤りです。…

【刀剣紹介】京極正宗

京極正宗 讃州丸亀城主・京極家伝来の短刀です。同家中興の祖・若狭守高次は豊臣秀吉の側室・松丸の兄で、この正宗も秀吉より拝領といいます。しかし秀吉の形見として高次に贈られた樋口正宗と、おそらく同一物でしょう。樋口はヒノクチとよむのが正しいです…

【刀剣紹介】木下正宗

木下正宗 徳川将軍家旧蔵の太刀です。豊臣秀吉が徳川秀忠に与えたというが、その後の移動は不明です。大坂の筒崎屋惣右衛門という商家が罪をえて、取り潰しになったとき、闕所品として没収、天保七年(一八三六)十月二十五日、将軍家の所蔵となりました。五千…

【刀剣紹介】紀伊国片桐正宗

紀伊国片桐正宗 『享保名物帳』焼失の部に収載された相州正宗作の短刀です。単に紀伊正宗・片桐正宗ともいいます。紀州和歌山城主・浅野長政の家臣所持でした。それを長政が召しあげ、埋忠寿斎に金具を作らせ、徳川家康に献上しました。家康はそれを大坂方の…

【刀剣紹介】河合正宗

河合正宗 土佐藩主・山内家伝の相州正宗の刀です。もと土佐藩士・河村某所蔵だったので、山内家では「河村正宗」と呼んでいたのを、民間に出てから河合正宗と誤伝し、伊賀越えの仇討ちに付会されました。 山内容堂が明治二、三年ごろ、酒宴の席上、この刀は…

【刀剣紹介】大内正宗

大内正宗 旧所持者については、大内苗字の人としたも のや、大内義隆か、と推測したものがあるが、要するに判然としません。それを堺の商人・柏屋宗悦が持っていたので、前田利家が金九枚で買い取って、関白秀次に献上しました。本刀を木村常陸介が拝領して…

【刀剣紹介】石田・切込み正宗

石田・切込み正宗 『享保名物帳』所載の刀です。もと「毛利若狭守殿所持」とあるが、森若狭守所持の誤りです。若狭守は関白秀次に仕え、馬廻り組頭を勤めていました。主君を失い浪浪の身になってからであろう、本刀を岡山城主・宇喜多秀家に四百貫で売りまし…

【刀剣紹介】朝霧正宗

朝霧正宗 『首斬り浅右衛門刀剣押形』所載です。「正宗」と金象嵌があり、「朝霧」と切り付け銘があります。 刃長二尺三寸一分(約七〇・三センチ)。江戸赤坂の坂口嘉七が、山田浅右衛門方へ持参したもの。『万葉集』に、「朝霧の乱るる心 言に出でて言はば忌…

【刀剣紹介】秋田正宗

秋田正宗 『享保名物帳』の焼失之部に記載されています。石井正宗ともいいます。その由来について、『享保名物帳』には石井伝右衛門が秋田で求めたから、とあるが、『名物控』には、 秋田で石井伝右衛門が所持していたから、とあって、後説が正しいようです…

【刀剣紹介】赤池正宗

赤池正宗 もと勢州松坂城主・古田兵部少輔所持でした。金八十枚の折紙がついていたが、増上寺の所化寮が火事になった際、焼失しました。それは未の年のことというから、寛永八年(一六三一)か、同二十年(一六四三)のことでしょう。古田重恒が慶安元年(一六四…

【刀剣紹介】福島正宗

福島正宗 『享保名物帳』所載、相州正宗作の刀です。もと本阿弥光徳の弟・光淳所持で、七百貫の折紙付きでした。享保(一七一六)ごろは、代も千貫に上がり、浅野但馬守のもとにありました。ただし、但馬守は誤りで、安芸守吉長でなければなりません。 刃長…

【刀剣紹介】大垣正宗

大垣正宗 『享保名物帳』でも、異本にのみ記載されているものです。「由緒不知」となっていますが、上杉家の記録によれば、大垣城主・戸田氏鉄が将軍秀忠に献上したもののため、この刀号が付せられました。金十五枚の折紙は、戸田家時代に付いたものでしょう…

【刀剣紹介】観世正宗

観世正宗 『享保名物帳』所載の刀です。これは初め「森正宗」と呼ばれていました。その由来は不詳です。のち能楽観世流宗家七代・観世太夫元忠の所持でしたので、観世正宗と改称されました。元忠の号は宗雪でなく、宗節が正しいです。本刀を徳川家康が召し上…

【刀剣紹介】島津正宗

島津正宗 『享保名物帳』所載、相州正宗(無銘)の刀です。 もと薩州の島津家が所蔵していました。同家より徳川家康へ献上し、家康が紀州頼宣へ与えたものでしょう。同家より貞享元年 (一六八四)、本阿弥家へ鑑定を求めてきましたので、二百枚の折紙をつけまし…

【刀剣紹介】小池正宗

小池正宗 『享保名物帳』所載の脇差です。播州姫路城主・本多美濃守忠政が、京都小池通りの旅館で購入したため「小池正宗」と呼びます。忠政より三代目の中務大輔政長が逝去したとき、その遺物として延宝七年(一六七九)七月十二日、嗣子の平八郎忠国は本刀…

【刀剣紹介】宗瑞正宗

宗瑞正宗 『享保名物帳』所載、相州正宗作の短刀です。もと織田信長の一族・小田井織田家に伝来しました。小田井大学が豊臣秀頼の小姓だった関係で豊臣家に献上しました。本阿弥光徳が相州行光と鑑定し「をたい行光」と鞘書きしました。「をたい」は小田井で…

【刀剣紹介】武蔵正宗

武蔵正宗 『享保名物帳』所載、相州正宗極めの刀です。刀号の由来について、『享保名物帳』には、宮本武蔵旧蔵説と、紀州徳川家の家来から出たものを、武蔵国江戸で召し上げたから、という説とがあります。 将軍家の『御腰物台帳』では、宮本武蔵説を採って…

【刀剣紹介】堀尾正宗

堀尾正宗 『享保名物帳』所載、相州正宗極めの短刀です。もと芸州広島城主・福島正則が所持していました。正則は慶長十六年(一六一一)二月、埋忠寿斎に金具を作らせ、拵えをつけてすぐ、遠州浜松城主・堀尾吉晴に金百三十枚で売りました。吉晴が慶長五年(…

【刀剣紹介】太郎作正宗

太郎作正宗 『享保名物帳』所載、相州正宗の太刀です。 もと徳川家康の外伯父で、三州刈屋城 主・水野信元が所持していました。信元は織田信長に属していましたが、武田勝頼に内応の疑いをかけられ、家康のもとに逃げてきました。しかし、信長の怒りは解けず…

【刀剣紹介】福島正宗

福島正宗 『享保名物帳』所載、相州正宗作の刀です。もと本阿弥光徳の弟・光淳所持で、七百貫 の折紙付きでした。享保(一七一六)ごろは、代も千貫に上がり、浅野但馬守のもとにありました。ただし、但馬守は誤りで、安芸守吉長でなければなりません。 刃長は…

【刀剣紹介】倶利伽羅正宗

倶利伽羅正宗 『享保名物帳』所載、相州正宗極めの短刀です。寛文九年(一六六九)七月三日付で、本阿弥光温の五千貫の折紙がついています。もと浅野家蔵です。出し鮫、角合口拵えは浅野家でつけたのでしょう。柘榴の目貫は後藤祐乗の折紙付きで小柄は赤桐、…

【刀剣紹介】籠手切正宗

籠手切正宗 籠手切り」という異名の由来については、越前の朝倉氏景が文和四年 (一三五五)二月十五日、京都東寺の戦のさい、敵兵の籠手を 切り落としたから、という説や朝倉孝景が大永七年(一五二七)十月二十九日に、京都の川勝寺口で、畠山勢を破ったときの…

【刀剣紹介】後藤正宗

後藤正宗 『享保名物帳』所載、相州正宗の刀です。もと金座・後藤庄三郎光次の子、庄右衛門広世が所持していました。初め、本阿弥光伯が探してきて、伯父にあたる本阿弥光徳に「正宗磨上 本阿你光德(花押)」と金象嵌を入れてもらい、後藤庄右衛門に売ったも…

【刀剣紹介】庖丁正宗

庖丁正宗 一.武州忍城主・松平家に伝来し、もと安国寺恵瓊が所持していました。恵瓊は関ヶ原で敗北後、京都の鞍馬山月昭寺や建仁寺に潜んだあと、西本願寺の家老・下間刑部卿の婿、端ノ坊明王の所に隠れていました。そのことを閑鎮という僧が徳川家康の命で…

【刀剣紹介】敦賀正宗

敦賀正宗 『享保名物帳』所載、相州正宗作の刀です。もと越前敦賀城主・大谷吉継(吉隆)が所持していました。 吉継が関ケ原合戦で敗死したあと敦賀城主となった松平秀康が敦賀で入 手しました。秀康の嫡孫・光長が越後高田城主のころ、大村加トは本刀を拝見し…

【刀剣紹介】若狭正宗

若狭正宗 『享保名物帳』所載、相州正宗極めの刀です。もと若狭少佐とよばれた若狭の小浜城主・木下勝俊が所持していました。勝俊は関ヶ原合戦が起こると、伏見城の総大将を命ぜられましたが、去就に迷っている勝俊を徳川家の家来たちが血祭りにしよう、とし…