来
源来国次 『享保名物帳』所載、京の来国次作の短刀です。もと相州小田原城主・北条氏綱の差料で「蜘手切り」と呼ばれていました。蜘手は蜘蛛の宛て字で、クモのことです。初め高野山の三宝院にあり、のち同じく南谷の林蔵院の什物(代々伝わる宝物のこと)に…
鳥養来国次 『享保名物帳』所載の来国次の短刀です。もと鳥飼宗慶が所持していました。宗慶は摂津国島下郡鳥飼、現在の大阪府茨木市鳥飼の出身で、通称は次郎右衛門、号は松庵・ 隣松斎です。宗慶は入道名です。書道の大家で、御家流より出て、鳥飼流を興し…
塩川来国光 『享保名物帳』所載、京の来国光の短刀です。もと江州佐和山城主・石田三成の臣・塩川志摩か、播州明石城主・塩川信濃守かの所持といいます。埋忠家で金無拓の二重はばきを作りました。現在もそれがついていて、上貝に「うめたゝ 寿斎 彦一入」と…
結城来国俊 『享保名物帳』所載、来国俊作の短刀です。もと下総の結城家伝来です。徳川家康の次 男・秀康が、天正十八年(一五九〇)に、結城晴朝の養子となり、この短刀を継承しました。秀康が慶長十二年(一六〇七)に没すると、長男の松平忠直が継承しました…
後藤来国光 『享保名物帳』所載、来国光の短刀です。もと後藤家六代栄乗が所持していました。寛永元年(一六二四)に、代金三百枚の折紙が付きます。『享保名物帳』編集のころは、上総国大多喜城主・松平備前守正久の所持でした。 刃長は九寸二分(約二七・…
日本の美、日本刀 まだ腰に刀を差していた時代、日本刀は自分の身を守るためだけではなく拵えの装いや粋な刀装具を周囲に見せ、その刀を差す武士の品格を表していました。また、現代のように自身を彩るものは多くなく、腰に差す刀剣でその人のお洒落さをも表…
日本の美、日本刀 まだ腰に刀を差していた時代、日本刀は自分の身を守るためだけではなく拵えの装いや粋な刀装具を周囲に見せ、その刀を差す武士の品格を表していました。また、現代のように自身を彩るものは多くなく、腰に差す刀剣でその人のお洒落さをも表…
日本の美、日本刀 まだ腰に刀を差していた時代、日本刀は自分の身を守るためだけではなく拵えの装いや粋な刀装具を周囲に見せ、その刀を差す武士の品格を表していました。また、現代のように自身を彩るものは多くなく、腰に差す刀剣でその人のお洒落さをも表…
日本の美、日本刀 まだ腰に刀を差していた時代、日本刀は自分の身を守るためだけではなく拵えの装いや粋な刀装具を周囲に見せ、その刀を差す武士の品格を表していました。また、現代のように自身を彩るものは多くなく、腰に差す刀剣でその人のお洒落さをも表…