日本刀の世界 ~日本の様式美~

日本の伝統文化である日本刀の刀工・刀鍛冶、名刀、刀剣書籍など

刀剣紹介

【刀剣紹介】夢切り国宗

夢切り国宗 上杉謙信が永禄三年(一五六〇)上洛、さらに足を延ばして高野山にいく途中、若江(東大阪市)城主・三好氏が、池田丹後守・多羅尾常陸介・野間左吉らをして、謙信を襲わせました。武勇の謙信は備前三郎国宗、三尺一寸(約九三・九三センチ)の大刀を揮…

【刀剣紹介】Faure 正吉

Faure 正吉 東京の森岡正吉作、刃長二尺五寸八厘(約七六・〇センチ)の太刀に、表「大正八年三月吉日」、裏「大日本帝国陸軍大臣田中義一贈」と在銘です。これは大正八年、日本陸軍が飛行技術習得のため、フランスより招聘した飛行将校団長フォール大佐への贈…

【刀剣紹介】盲腸来国次

盲腸来国次 「来国次」と在銘の短刀です。もと一尺(約三〇・三センチ)以上ありました。それでは脇差の部に入り値段が安いです。一尺以下ならば短刀の部に入り値段も高くなるので、東京在住の故M刀匠に依頼、中心の靴の下を二寸(約六・〇六センチ)ほど切除し…

【刀剣紹介】八幡左文字

八幡左文字 豊前中津(大分県)の城主・奥平家伝来の左文字極めの無銘刀です。 刃長二尺三寸五分(約七一・二センチ)、表裏に棒樋をかく。鞘には葵紋蒔絵がある。徳川将軍より拝領の時期は不明。刀号は山城国八幡山、つまり八幡宮のある男山の麓での作というが…

【刀剣紹介】雷切丸

雷切丸 立花道雪がまだ生地・豊後国大野郡藤北(大分県大野郡千歳町)にいたある夏、大木の下に席をつくり、昼寝しているところに落雷、足をやられました。差料の千鳥も焼け身になったが、雷を切ったとして以後雷切丸と改名しました。二尺(約六〇・六センチ)足…

【刀剣紹介】白鳥の槍

白鳥の槍 下野国宇都宮(栃木県)の城主・奥平千福、のちの忠昌が八歳の少年ながら、徳川家康の外孫であるため、元和二年(一六一六)三月、家康の病気見舞に行った時、拝領した白鳥毛鞘の槍です。同家では代々持槍にしました。穂は三寸(約九センチ)の短槍で、三…

【刀剣紹介】八文字長義

八文字長義 秋田城主・佐竹家伝来です。備前長船住長義極め無銘の刀です。 刃長二尺五寸九分一厘(約七八・五センチ)。表裏に棒樋をかき流し、大彎れに乱れまじりの刃文。 もと奥州岩城(福島県いわき市)の城主・岩城家旧蔵です。佐竹義重の母は岩城重隆の女で…

【刀剣紹介】半月丸

半月丸 尼子家の忠臣山中鹿之助の佩刀と伝えられる三条宗近在銘、二尺二寸八分(約六九・一センチ)の太刀の異名です。少し乱れた直刃に、半月形の打ち除けがあるための命名です。 参考文献:日本刀大百科事典

【刀剣紹介】貼付け銘国宗

貼付け銘国宗 「国宗」と二字在銘です。刃長二尺四寸二厘(約七二・八センチ)、旧国宝、現重文です。東京在住の故M刀匠が、私が作った偽物で、国宝になった二本のうちの一本、と生前告白していたものです。これは銘のある側の中心の大部分を剥ぎ取り、他の健…

【刀剣紹介】桑刀

桑刀 桑の葉を切る包丁です。水戸藩工・勝村正勝が、明治二年九月、皇室の御養蚕所主任・福田彦四郎の注文で造ったのは、長さ約一尺(約三〇・三センチ)、幅約四寸五分(約一三・六センチ)と、長さ約八寸(約二四・二センチ)、幅約四寸(約三・一センチ)の二種で…

【刀剣紹介】亀齢丸

亀齢丸 刀の異名です。差し表に「摂州大坂住三品大和守吉道」、裏に「延宝四年二月日於武州江戸作之」、と在銘の刀の箱書の表に、正三位千種有功の筆で「亀齢丸」、裏に「鶴亀の長き齢ひのことほぎも うれしめでたし比身吉道」と書きます。吉道の作に長銘は…

【刀剣紹介】朽木正宗

朽木正宗 大和国郡山城主・柳沢家伝来、刃長一尺一寸六分(約三五・二センチ)、無銘、相州正宗極めの脇差です。異名は丹波国福知山(京都府)城主・朽木家旧蔵だったのでしょう。大正十三年同家の売立で、二百六十円で落札されました。 参考文献:日本刀大百科…

【刀剣紹介】三本寺吉光

三本寺吉光 上杉景勝の邸に文禄三年(一五九四)十月二十八日、豊臣秀吉を招いたとき、拝領した脇差です。刃長一尺九分(約三三・〇センチ)、景勝三十五腰の一です。 参考文献:日本刀大百科事典

【刀剣紹介】童丸

童丸 源氏嫡流代々相伝の三剣の一です。髭切・友切りと童丸は、源氏が三代で絶えると、頼朝の妻・政子はこれら三剣を、足利義氏に譲りました。義氏はこれを三河国西尾(愛知県西尾市)の城の本丸に祀り、国を乱し万民を悩まし、不忠の働きする者は、これに触れ…

【刀剣紹介】延慶光包

延慶光包 表「光包」、裏「延慶二年二月日」と在銘、刃長九寸七分四厘(約二九・五センチ)、旧国宝、現重文です。天明六年(一七八六)拓の押形、『首斬り浅右衛門刀剣押形』『新刀古刀大鑑』などに所載されてます。ただし、『角野押形』所載の同年作の銘と相違…

【刀剣紹介】桶丸写し

桶丸写し 播州(兵庫県)赤松家重宝・桶丸の模作です。筑後(福岡県)久留米城主・有馬家は、赤松則村の子孫といい、粟田口国綱作の桶丸が伝来していました。 差し表に「元禄三庚午八月吉日 平安城助房」、裏に「桶丸行平作 於武江写之」と在銘、差し表に幡鉾と…

【刀剣紹介】鹿沼来

鹿沼来 秋田城主・佐竹家伝来、京の来派の作です。ただし、個名は不明です。天正十八年(一五九〇)の小田原落城の際、鹿沼城(栃木県)の留守を守っていた鹿沼太郎は寄手の佐竹義重に降伏、この刀を贈ったものらしいです。鹿沼太郎は大力の勇士だったので上杉家…

【刀剣紹介】鷲切り

鷲切り 備前長船兼光の刀号です。享保(一七一六)のころ、加賀藩の馬廻り頭・丹羽武兵衛孝房が、加州石川郡湯浦(石川県金沢市)の温泉に入湯中、薬師堂の上の山に佩刀をおいて、さらに絶壁をよじ登りました。程経て薬師堂の上に戻ってみると、佩刀がありません…

【刀剣紹介】鷲造りの太刀

鷲造りの太刀 源義経が屋島の合戦のとき、大胡小橋太に与えた太刀です。これについては、金具や鞘の蒔絵に、鷺の図のあるもの、という説と、柄頭の金具が鷲の頭の形になったもの、という説とがあります。前説では、太刀の何々造りというのは、すべて文様から…

【刀剣紹介】鷲の巣

鷲の巣 相州行光作の短刀の異名です。文禄元年(一五九二)四月十一日、肥前名護屋(佐賀県東松浦郡鎮西町)へ下向の途中、芸州広島(広島県広島市)へ立ちよった豊臣秀吉は、これと備前光忠の刀を、毛利秀元に与えました。 参考文献:日本刀大百科事典

【刀剣紹介】鷲の子

鷲の子 奥州南部家の支族・九戸政実の佩刀です。政実が天正十九年(一五九一)、入って宗家を継いだ田子信直に対し、叛旗を翻したとき、鷲の子という三尺五寸(約一〇六センチ)、 黒漆の太刀を佩いていました。 参考文献:日本刀大百科事典

【刀剣紹介】亘理来国光

亘理来国光 もと奥州伊達家の重臣・亘理兵庫頭入道安斎の遺物として、伊達家に献上したものです。伊達政宗が登城のときの差料です。六代目の宗村もこれを愛好しました。 刃長二尺四寸一分五厘(約七三・二センチ)、延宝九年(一六八一)卯月三日付の代千五百貫…

【刀剣紹介】若楓

若楓 陶晴賢の愛刀で、刃長一尺五寸(約四五・五センチ)、薩摩の波平の作です。天文二十年(一五五一)、晴賢が主君・大内義隆を殺してから間もないある夜、青景越後守邸における花見で、煎海鼠酒(煮乾しの海鼠を入れた酒)をしたたか飲んで、明け方に帰館し、寝…

【刀剣紹介】若江十河正宗

若江十河正宗 『享保名物帳』焼失之部所載、相州正宗極めの短刀です。河内国若江(大阪府東大阪市)から出たから、あるいは織田信長のとき、若江三人衆とよばれた、池田丹波守・多羅尾常陸介・野間左膳ら三人のうちの誰かの所持だったので、若江正宗とよびます…

【刀剣紹介】若江貞宗

若江貞宗 平造りの脇差です。 二筋樋をかく。刃文は五の目乱れ。鋩子は乱れ込んで焼き詰め。中心は区送り、目釘孔なし。中心尻は剣形。無銘。 参考文献:日本刀大百科事典

【刀剣紹介】分部志津

分部志津 『享保名物帳』所載、志津兼氏極めの刀です。もと伊勢国奄芸郡上野(三重県津市)の城主・分部光嘉所持でした。光嘉は関ヶ原の役で、富田信高の津城に立てこもったが、西軍の来襲に敗れ、高野山にのがれました。しかし、東軍に加担した点を買われ、所…

【刀剣紹介】脇屋郷

脇屋郷 『享保名剣集』所載、越中郷義弘極めの刀です。もと脇屋右近所持、大坂落城後、本阿弥光徳が徳川家康に納めました。将軍家光はこれを慶安三年(一六五〇)、松平四郎五郎へ与えました。 刃長二尺三寸一分(約七〇・〇センチ)。表裏に樋をかく。佩き表の…

【刀剣紹介】若緑

若緑 奥州住千寿作の太刀です。源為朝が久安六年(一一五〇)、十三歳のとき父の勘気にふれ、九州に追われたとき、この太刀を父為義よりもらいました。久寿二年(一一五五)、京都に帰るとき、三男の鶴王丸基朝に与えました。基朝の七代の孫・大友公朝は、応永五…

【刀剣紹介】瑠璃柄剣

瑠璃柄剣 瑠璃を柄に嵌め込んだ太刀です。瑠理柄剣とも、大臣級の高官の飾太刀に見られるもので、騎馬のときは佩かないことになっていました。損傷するのを恐れたからです。 参考文献:日本刀大百科事典

【刀剣紹介】るの青江

るの青江 紀州藩主・徳川光貞の弟・豊後守頼路が、貞享二年(一六八五)、無卦に入った時、厄払いとして光貞より贈られた、備中青江の太刀の異名です。無卦とは陰陽道において、それより五年間は凶事が多いという不吉の年のことです。 参考文献:日本刀大百科…