日本刀の世界 ~日本の様式美~

日本の伝統文化である日本刀の刀工・刀鍛冶、名刀、刀剣書籍など

兼光

【刀剣紹介】鷲切り

鷲切り 備前長船兼光の刀号です。享保(一七一六)のころ、加賀藩の馬廻り頭・丹羽武兵衛孝房が、加州石川郡湯浦(石川県金沢市)の温泉に入湯中、薬師堂の上の山に佩刀をおいて、さらに絶壁をよじ登りました。程経て薬師堂の上に戻ってみると、佩刀がありません…

【刀剣紹介】琉球兼光

琉球兼光 薩州鹿児島城主・島津家伝来、無銘、備前長船兼光極めの太刀です。鹿児島に伝わる伝説では、豊臣秀頼が大坂落城のさい、密かに脱出し、鹿児島に潜行したさい、携行した竹股兼光を、城主の島津家久に贈りました。家久はそれを小豆兼光と称していたが…

【刀剣紹介】紅葉狩り

紅葉狩り 加藤清正の佩刀、備前長船兼光作、三尺三寸(約一〇〇センチ)の太刀の異名です。朝鮮における虎狩りのさい、それで虎の首を切り落としたといいます。江戸城の石垣用として、肥後から巨石を献上したさ い、清正は三尺三寸の兼光を指し、手に扇をもっ…

【刀剣紹介】蜈蚣槍

蜈蚣槍 旗本の水野十郎左衛門家伝来の槍の異名です。濃州関の兼光作の大身槍です。十郎左衛門成之の弟・又八郎忠丘家の所伝によれば、幡随院長兵衛は水野家の風呂に入るときも、刀を浴室に持ちこみ、床に敷いてあった酒弧の下にかくしました。 それをのぞき…

【刀剣紹介】翠丸

翠丸 備前兼光作の太刀の異名です。越後国三島郡長峰山(新潟県長岡市長峰町)の城主・新田氏の一族に伝来したものが、同郡富岡村(長岡市富岡町)の遠藤孫兵衛の祖先の手に渡りました。それを宝暦十二年(一七六二)、長岡藩主の牧野家が金百両で召し上げ、褒美と…

【刀剣紹介】蓑丸兼光

蓑丸兼光 征西将軍・懐良親王の佩刀、という伝説の太刀です。九州の旧家に伝来していた時分は、蓑に包んで家の棟木にくくり付けてあった、というので、蓑丸の号がつけられました。古い山金の太刀拵え付きです。 刃長二尺八寸(約八四・九センチ)くらい、刃文…

【刀剣紹介】藤丸

藤丸 1.名刀の名です。奥州の文寿の作です。ただし、膝丸の誤写の疑いもあります。 2.足利将軍義昭の差料です。 中身は、刃長九寸三分五厘(約二八・三センチ)、「備州長船兼光 延文二年七月日」と在銘。合口拵えの刻み鞘が金時絵となり、それに藤の花が銀の…

【刀剣紹介】福島兼光

福島兼光 『享保名物帳』追加之部所載、備前長船兼光作の太刀です。福島正則が広島城主だったころ、城下の本国寺(日蓮宗)の住持を処罰しました。その後、本刀が同寺にあることが分かり、正則が没収し、自分の佩刀にしたもの正則は元和元年(一六一五)城地を没…

【刀剣紹介】太郎坊兼光

太郎坊兼光 備前長船兼光の刀の異名です。 1.奥州二本松城主・丹羽家の伝来です。初め明智光秀が織田信長から拝領し、愛宕神社に奉納していたものを、豊臣秀吉が代わりの刀を納めて申し受け、愛宕山の天狗の名に因んで、太郎坊兼光と呼んでいました。一時、…

【刀剣紹介】水神切り兼光

水神切り兼光 上杉家伝来、備前長船兼光の太刀です。水神を切った、という伝説の詳細は不明です。 刃長二尺三寸一分(約七〇・〇センチ)、平造り、丸棟という珍品。佩き表に梵字、裏に三鈷柄の剣の彫物。小板目肌に映りが出る。刃文は中直刃に小乱れ交じり。…

【刀剣紹介】四海波兼光

四海波兼光 「四海波」と金象嵌のある備前長船兼光の刀です。 刃長二尺二寸八分五厘(約六 九・二センチ)、表裏に棒樋をかき流す。真の棟。地鉄は板目肌。刃文は逆乱 れ。鋩子は乱れ込み、先は尖る。大磨り上げ無銘。差し表に「四海波」、裏に「安藤伝十郎六…

【刀剣紹介】小反り兼光

小反り兼光 上杉謙信愛刀の一つです。上杉景勝三十五腰の一つです。武田家の安間彦六を斃したとの伝説は誤伝です。 刃長二尺四寸四分(約七三・九センチ)。銘に「備前国長船住 享禄二年己丑年兼光作 永禄七年甲子年正月十一日 藤原輝虎三寸上之」とある。享禄…

【刀剣紹介】降伏兼光

降伏兼光 美濃国郡上の豪族・東常縁家重代の脇差です。かつては刀剣の大家・木本宗剛が秘蔵、永正(一五〇四)ごろは、美濃の部将・斎藤基泰所持でした。 刃長一尺二分(約三〇・九センチ)、差し裏に、降り竜が玉を呑む彫物があった。銘は差し表に「備州長船兼…

【刀剣紹介】大相馬兼光

大相馬兼光 『享保名物帳』所載の太刀です。長大なため一名「大兼光」ともいいます。元和(一六一五)のころ、相州小田原城主・大久保家の家臣に、相馬長四郎という者がいました。これの先祖・七郎左衛門旧蔵だったので、相馬兼光、特に長大なため、「大兼光」…

【刀剣紹介】城井兼光

城井兼光 『享保名物帳』所載の名物ですが、古い『名物帳』には見当たりません。幕末になって追記したもののようです。黒田長政が城井鎮房を斬った備前長船兼光の太刀です。もと松山兼光とよばれ、長政の差料でした。黒田孝高は九州征伐の功によって、豊前中…

【刀剣紹介】吉田兼光

吉田兼光 『享保名物帳』所載、備前長船兼光作の短刀です。池田輝政は天正十八年(一五九〇)から、慶長五年(一六〇〇)まで、三州吉田(愛知県豊橋)の城主でした。そのころから所持していたので、「吉田兼光」の名を得ました。本刀を三男で、まだ少年だった忠雄…

【刀剣紹介】竹股兼光

竹股兼光 『享保名物帳』所載、備前長船兼光の太刀です。竹俣兼光とも書きます。越後国老津(新潟県新井市小出雲)の百姓が雷雨にあい、この刀を頭上に戴いていました。雷雨が過ぎたあと、刀を見ると血潮がついていました。雷がこの刀の上に落ちて切られたの…

【刀剣紹介】大兼光

日本の美、日本刀 まだ腰に刀を差していた時代、日本刀は自分の身を守るためだけではなく拵えの装いや粋な刀装具を周囲に見せ、その刀を差す武士の品格を表していました。また、現代のように自身を彩るものは多くなく、腰に差す刀剣でその人のお洒落さをも表…