日本刀の世界 ~日本の様式美~

日本の伝統文化である日本刀の刀工・刀鍛冶、名刀、刀剣書籍など

2018-10-25から1日間の記事一覧

【刀剣紹介】舛屋江

舛屋江 『享保名物帳』焼失之部所載、越中郷義弘極めの刀です。増屋江とも書きます。もと京都小川通りの舛屋了二所持でした。宇喜多秀家が豊臣秀吉へ献上しました。埋忠明寿・寿斎に命じて、刃長二尺一寸一分(約六四・〇セン チ)、または二尺一寸一分五厘(約…

【刀剣紹介】増田来国次

増田来国次 『享保名物帳』焼失之部所載、来国次作の短刀です。もと豊臣秀次所持でした。秀次の 生存中か、自害後か、不明であるが、文禄(一五九二)年中、研師の木屋が入手して、豊臣秀吉へ金八枚で売りました。 秀吉が逝去後、遺物として、大和郡山城主・増…

【刀剣紹介】彫り貫き盛光

彫り貫き盛光 剣巻き竜の透し彫りのある備前長船盛光の脇差です。もと備中国の吉備津神社の宝物だったのを、天正十年(一五八二)、備中高松城攻めに加わっていた木村常陸介が申しうけ、普段指しにしていました。その後、豊臣秀吉の手に入ったが、金十枚で買い…

【刀剣紹介】骨喰み

骨喰み 古名刀の異名です。骨食・骨塚・骨喰丸・骨噛みとも書きます。骨喰みの語源については、戯れに切るまねをしても、相手の骨が砕けてしまうからとも、相手が骨にしみるように感じるからとも、刀で切られると、骨を縫い綴ったように痛みを訴えるからとも…

【刀剣紹介】骨不知

骨不知 相州貞宗作の脇差の異名です。肥後熊本城主・細川忠利が、寛永十五年(一六三八)正月十二日、島原の乱の援軍として出陣すべし、という命令を将軍家光より受けたとき、家光より拝領したものです。忠利の孫・綱利は慶安四年(一六五一)六月二十七日、襲封…

【刀剣紹介】布袋国広

布袋国広 唐の布袋和尚の像を彫った堀川国広の脇差です。 1.刃長一尺二寸五分(約三七・九センチ)、平造り。差し表に羂索と梵字、裏に太い樋のほかに、月とそれを指した布袋の像を浮き彫りにする。地鉄は杢目肌強く、刃文は五の目乱れ。中心に「国広」と二字…