日本刀の世界 ~日本の様式美~

日本の伝統文化である日本刀の刀工・刀鍛冶、名刀、刀剣書籍など

2018-10-05から1日間の記事一覧

【刀剣紹介】対馬正宗

対馬正宗 『享保名物帳』焼失之部所載、相州正宗作の小脇差です。もと対馬藩主・宗義調の次男、柳川豊前守調信の所持でした。それを研師・木屋の取次ぎで、本多正純が五百貫で入手しました。正純は元和八年(一六二二)改易、流罪となりました。いつの頃からか…

【刀剣紹介】槌食い彦四郎

槌食い彦四郎 相州貞宗の大太刀の異名です。但馬国の長という豪族が、貞宗を但馬によんで、四尺三寸(約一三〇・三センチ)の大太刀を打たせました。室町期になって、将軍義教がそれを所望したが、家重代といって提出しませんでした。あまりに催促が激しいので…

【刀剣紹介】茶臼割り

茶臼割り 上州吾妻郡三原(群馬県吾妻郡妻恋村)の地頭で、信州真田家の一族だった羽尾家の重代、刃長三尺三寸(約一メートル)、備前長船長光の作です。永禄七年(一五六四)正月七日、国府台(千葉県市川市)の戦に、羽尾幸世兄弟はこれを佩いて出陣しました。戦い…

【刀剣紹介】千引長光

千引長光 備前長光の刀の異名です。島津藩主・島津家久が慶長四年(一五九九)正月九日、泗川の戦の功により、正四位下少将に任じられたとき、徳川家康が家久に贈った刀です。もと織田信長の三男・三七郎信孝の愛刀で、中心に「三七郎」と切りつけてありました…

【刀剣紹介】秩父高平

秩父高平 武州秩父の庄司・畠山重忠の太刀です。 長さについては、三尺八寸説(一一五・一四センチ)と四尺八寸説(約一四五・四四センチ)のとがある。重忠が治承四年(一一八〇)、富士川の戦で、加治次家の兜を真向うから切り割った、という伝説のある刀。ただ…

【刀剣紹介】池水の剣

池水の剣 筑後国の高良神社の座主・僧麟圭の差料です。毛利元就の九男・秀包は、豊臣秀吉の九州征伐に従軍、その功により筑後久留米城主になったが、高良神社の座主・麟圭が反抗、どうしても帰服しません。そこで偽って和を結び、麟圭を城中によび、歓待した…

【刀剣紹介】血吸丸

血吸丸 刀の異名。源頼光が大江山の童子征伐のとき、「血すゐ」という二尺一寸(約六三・六センチ)の太刀を笈に入れて携行した、との伝説があります。作者については、奥州の雄安説と、瓦安説とがあります。しかし、瓦安は尾安の誤記でしょう。雄安は小安とも…

【刀剣紹介】血吸いの剣

血吸いの剣 薩摩島津家伝世の宝剣です。島津家十四代・勝久は、守護職を貴久に譲ったあと、八幡十の太刀・般若の剣・宗近の太刀とともに、本剣を抱いて豊後に流寓していたが、天正元年(一五七三)十月十五日客死しました。勝久の孫・秀久は剃髪して怨世と称し…

【刀剣紹介】茶臼丸

茶臼丸 1.坂崎出羽守成正家の四刀の一です。茶坊主が茶をひいているところを、出羽守がこの脇差で、茶臼もろとも真二つに斬りわったことからの命名です。出羽守は千姫を奪う計画が発覚、元和二年(一六一六)自殺しました。本刀が坂崎家旧蔵と知らず、豊前国竜…