日本刀の世界 ~日本の様式美~

日本の伝統文化である日本刀の刀工・刀鍛冶、名刀、刀剣書籍など

2018-09-26から1日間の記事一覧

【刀剣紹介】権藤鎮教薙刀

権藤鎮教薙刀 權藤平左衛門尉行澄所持、豊後高田住平鎮教作の薙刀です。『享保名物帳』追記の部に記載されています。朝鮮出兵のさい、敵兵が虎を黒田如水に向けて、けしかけました。主君危しとみて、権藤某がこの薙刀をふるい、虎を仕留めたという説は誤りで…

【刀剣紹介】笹貫きの太刀

笹貫きの太刀 薩摩の樺山家伝来、波平行安作の太刀です。現在は国有、重要文化財です。応永(一三九四)ごろの波平行安が妻に、鍛治場を決して覗いてはならぬ、と厳命しておいたのに、妻が覗いたのを怒り、仕上げ中の刀を裏の竹藪に投げ棄てました。そこから夜…

【刀剣紹介】篠剪り

篠剪り 大和国高取(奈良県高市郡高取町)の城主・植村家伝来、吉岡一文字の刀の異名です。笹剪りとも書きます。植村出羽守家存(家政)が徳川家康の父広忠、祖父清康らに敵対するものを討ち取ったことのある刀です。それが下総国古河城主・本多忠良の家に伝わっ…

【刀剣紹介】笹切り

笹切り 1.奥州最上家重代、相州貞宗の太刀の異名です。笹刀ともいいます。山形城主・最上義守が十六歳で、橋下(上山市)の戦に初陣したとき、賞として父より譲られました。その子義光も十六歳で、永禄四年(一五六一)四月四日の夜、高湯温泉(山形市)に父ととも…

【刀剣紹介】小駒切り

小駒切り 鍋島勝茂所特、郷義弘の太刀です。勝茂が天正十七年(一五八九)十歳で、肥前国神埼郡城原の勢福寺城主・江上家種の養子になったとき、婿引き出として江上家重代のこの太刀を、勝茂に与えました。勝茂は慶長五年(一六〇〇)、関ヶ原の役のとき、初めは…

【刀剣紹介】佐々木国行

佐々木国行 江州佐々木家重代、来国行の短刀の異名です。観音寺城主・佐々木義賢は元亀元年(一五七〇)八月、織田信長に降伏しています。そのとき信長に献じたのでしょう。堺の天王寺屋・津田宗及が天正八年(一五八〇)二月二十二日、京都において大小取り交ぜ…

【刀剣紹介】こぶ屋藤四郎

こぶ屋藤四郎 千利休が切腹に用いた粟田口吉光の短刀です。もと加州金沢の商人こぶ屋所蔵でした。 刃長八寸二分五厘(約二五・〇センチ)、表裏に刀樋をかき流す。小杢目肌の地鉄に直刃を焼く。「吉光」と二字在銘。拵えは利休が本阿弥光徳に作らせたもの。赤…

【刀剣紹介】小乱れ藤四郎

小乱れ藤四郎 『享保名物帳』追記の部所載、粟田口吉光の短刀です。豊臣家の所蔵、大坂落城のさい焼失したのであろう、所在不明です。ただし本阿弥光徳のとった押形があります。 刃長七寸二分五厘(約二二・〇センチ)、平造り、浅い五の目乱れをやく。鋩子は…

【刀剣紹介】駒井藤四郎

駒井藤四郎 『享保名物帳』星野求与本の追記の部所載の短刀です。粟田口吉光の作です。駒井は豊臣秀吉に仕え、三万六千三百石を領していた駒井中務少輔重勝でしょう。重勝は関ヶ原の役で西軍に加わったため、領地を没収されました。それで愛刀吉光を手放した…

【刀剣紹介】御鬢所行平

御鬢所行平 『享保名物帳』焼失之部所載、豊後行平の太刀です。豊臣秀吉が理髪や着換えをした御鬢所に、備えつけの太刀です。ただし『豊臣家御腰物帳』には、二之箱に収納とあります。大坂落城のさい焼失しました。ただし『本弥光徳刀絵図』に押形所載されて…

【刀剣紹介】小屏風長刀

小屏風長刀 静御前の薙刀として、豊後の大友家の重宝です。土佐坊昌俊が源頼朝の命により、文治元年(一一八五)十月十七日、源義経を京都堀川の館に襲ったとき、静御前がこれを揮って、敵を退けたと伝えられるものです。義経は再襲撃をおそれ、堀川館にいた豊…