日本刀の世界 ~日本の様式美~

日本の伝統文化である日本刀の刀工・刀鍛冶、名刀、刀剣書籍など

2017-11-10から1日間の記事一覧

【刀剣紹介】庖丁正宗

庖丁正宗 一.武州忍城主・松平家に伝来し、もと安国寺恵瓊が所持していました。恵瓊は関ヶ原で敗北後、京都の鞍馬山月昭寺や建仁寺に潜んだあと、西本願寺の家老・下間刑部卿の婿、端ノ坊明王の所に隠れていました。そのことを閑鎮という僧が徳川家康の命で…

【刀剣紹介】敦賀正宗

敦賀正宗 『享保名物帳』所載、相州正宗作の刀です。もと越前敦賀城主・大谷吉継(吉隆)が所持していました。 吉継が関ケ原合戦で敗死したあと敦賀城主となった松平秀康が敦賀で入 手しました。秀康の嫡孫・光長が越後高田城主のころ、大村加トは本刀を拝見し…

【刀剣紹介】若狭正宗

若狭正宗 『享保名物帳』所載、相州正宗極めの刀です。もと若狭少佐とよばれた若狭の小浜城主・木下勝俊が所持していました。勝俊は関ヶ原合戦が起こると、伏見城の総大将を命ぜられましたが、去就に迷っている勝俊を徳川家の家来たちが血祭りにしよう、とし…

【刀剣紹介】式部榊原正宗

式部榊原正宗 初め駿州付中城主・中村式部大輔一氏が所持していました。中村家は子・一忠のとき断絶しましたので本刀は同家を出ました。それを榊原式部大輔康政が入手し、徳川家康へ献上しました。寬文八年(一六六八)に七千貫、元禄(一六八八)ごろ、七百枚に…

【刀剣紹介】豊後正宗

豊後正宗 『享保名物帳』所載、相州正宗極めの短刀です。もと多賀豊後守高忠が所持していました。その後の伝来は不明ですが、大阪城にあったころ、本阿弥光徳が押形をとっています。『享保名物帳』編集のころは、相州小田原城主・大久保加賀守忠方の所蔵でし…